2004年7月 キークルーグラハンの巻

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必殺、ウイングビートにてグラハンを練習する明治大学サークルの学生たち。この日は絶好のウインドコンディションとなり、1日中、パラを操っていた。グランドハンドリングは飛ばなくても地上でグライダーを操り飛んでいる時以上に操作性は要求される。飛べないときには、この練習が技術向上につながるだろう。

2003年 日本選手権

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2003年9月に日本選手権に出場しました。長野県八方で開催されコンディションはそこそこだった。スタートは順調だったが中盤の突っ込みでミスをし約20kmくらいで五竜に降りてしまいました。仕事の関係で参加は1日だけだったけど宮田君、正ちゃんとも久々に会い十分楽しめた。グライダーはジェネスよりΩ6プロトを借りて参戦しました。Ω6は調子よかった。

2003年3月 オーストラリア マニラオープン

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この大会ではコンディションがあまり良くなかった。1週間のうちMAX2300m程度しか上がらずタスク距離も100km程度だった。私もいつものようにテンションを上げて今回の大会では今までと違う作戦を行ったがこれが不運となった。MAXのフライト距離でも70km程度となり、ぶっ飛んだことも2回あった。でも、フライトキャンセルはほとんどなかったのが救いで良いトレーニングになった。最高位8位 機体UPギャンビットcompe2001モデル

2002年10月 ロドリゲス兄弟来日

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あのアクロで有名なロドリゲス兄弟が来日しファルホークの斉藤さんが連れてきてくれました。この日はコンディションが悪く積乱雲が山の後方10km地点に発生していたが、飛びたい意欲が高くフライトする。そしてSATを披露し、軽快なランディング。ロドリゲス情報を聞いたスクール生などは平日にもかかわらずたくさんの方々が来てくれました。

2002年 日本選手権

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2002年10月に日本選手権に出場しました。開催地は岡山県大佐でした、コンディションは初日は結構よく十分楽しめました。初日はテイクオフを20番手くらいに行ったもののラインどりをミスりどんどん高度がさがりサブLD高低差100mまで下がった。のたうちまわり降りてリフライトするかどうするか迷っているうちに他の選手はスタートパイロン付近に50機以上たむろっている・・・そしてスタート時間にその時はまだ、地面付近で粘っており、約5分くらいすると少しずつ高度上げてようやくスタートパイロンへ、この時私は最後尾スタートとなり他の選手がパイロンを回り皆とすれ違うこの時は正面から私のほうへ何十機と突っ込んでくるため正直怖かった・・・その後、私もペースを上げて低高度突っ込む悪い癖が出始めたがこのおかげで、最終パイロンには8番手まで上げた。その最後1km手前でのサーマルに恵まれず、着陸。いいところまで行ったのだが残念。2日目もコンディションはそこそこだったが中盤、渋くなり何とか競技成立という感じである。私は20km付近で渋さに負けてLDしてしまった。機体はUP2001年モデルギャンビット、機体は絶好調だった。

2002年3月 オーストラリア マニラオープン

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競技前日までコンディションが悪かったものの初日から約60kmタスクが組み込まれ、約1週間平均100kmタスクがほぼ毎日続きました。初日は土地がよく分からないままMAPとGPSを頼りに何とかゴール。約3時間半くらいかかった。その後もショートすることもあったがゴールも決めて、自己最高記録160.8kmのフライトもできた。この時はゴール200m手前に着陸。ファイナルグライドを15km手前にゴール地点で対地300mでカットの計算が10km前に向かい風になりショートする結果となった。一時期、ランディング寸前も度々あったがなんとかなった。そしてある1戦ではGPSの設定ミスで、約65kmフライトしたものの計測ミス約100mの・・・で、成績が5km程度のフライトとなるアクシデントも発生した。だが、今回の大会ではコンディションが良く十分すぎるトレーニングにもなり1週間で約500km近く飛べて最高のコンペとなった。最高位6位 機体UPギャンビットcompe2001年モデル